今回は、エメラルド・フェネル監督の『嵐が丘』をご紹介します。
観た人のレビューを見る感じだと、結構賛否分かれている印象です。
色々マイナスはありつつも新しい試みとして面白いと思ったところもあるので、そのあたりをレビューしていきます。
(トップ画像:引用https://x.com/SonySoundtracks/)
エミリー・ブロンテの名作『嵐が丘』の新たな映画化!

本作はこれまで幾度となく映画化されてきた『嵐が丘』の、新たな映画化作品となっています。
監督・脚本は、エメラルド・フェネル。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』で鮮烈なデビューを果たし、『Saltburn』でその過剰な美意識と官能性が話題を呼んだ監督です。
主演は『バービー』のマーゴット・ロビー&『フランケンシュタイン』のジェイコブ・エロルディ。
『嵐が丘』の物語自体はよく知られたものです。
孤児ヒースクリフと地主の娘キャサリンの激しい愛。階級差、嫉妬、復讐、そして破滅。
今回のエメラルド・フェネル版でもゴシック文学の代表作とされる原作の骨格は残されています。
ただし本作は、「原作を丁寧に語り直す」タイプの映画化ではなく、むしろ、感情の嵐をどう身体に落とし込むかに重心が置かれていました。

フェネル版の新しさ──倒錯した欲望を“見せる”映画
フェネル版『嵐が丘』の特徴は、その冒頭シーンを観るだけでも明らかです。
暗闇の中、荒い呼吸のような音。
一瞬、性愛のシーンかと錯覚します。しかしそれは、絞首刑にかけられた男の最後の息です。
映画冒頭で描かれるのは、絞首台で罪人が処刑される場面なのですが、始めは音しか観客に届かないので、「ベッドがきしむほど激しいベッドシーン」かと錯覚させるような流れになっています。

そして絞首台が映った直後に少女時代のキャサリンら登場人物の顔が映されてゆき、そこに並べるように罪人の天使の欲望が映されます。
そんな暴力と死、エロティシズムを強調した冒頭のシークエンスから映画は始まります。
「性=死」という不穏な接続。エロスとタナトスが同じ音で始まる。このショックは、本作全体のトーンを決定づけています。
ちょっと気圧されると同時に、冒頭で本作のテーマをドン、と出されるので、そこが飲み込めないと(原作ファンの方など)はちょっと楽しめないかもしれません。
性と死が溶け合う瞬間──印象的な視覚モチーフ
冒頭シーンのほかにも、重要な視覚モチーフがたくさんありました。
例えば作中何度も(執拗に)映し出される卵。殻が割れ、黄身と白身が溢れ出します。
そのエロティックなイメージからはSM的な緊張と弛緩を想像させると同時に、物語の悲劇性も感じられます。
卵は本来、誕生や可能性の象徴です。けれどここでは、ただ消費されるだけの物質です。
それはヒースクリフとキャサリンの愛そのもののようにも見えます。

生成ではなく、消耗へ向かう関係。キャサリンが身ごもった命も、生まれてくることはありません。
エロティックでありながら、どこか空しい。
この両義性が印象に残ります。
またキャサリンがエドガーの屋敷にやってきてからの、魚のゼリーにキャサリンが指を差し込む場面も強烈なイメージを与えられます。
ゆっくり、ねっとりとした質感は、視覚というより触覚に訴えてきます。
さらに壁紙でキャサリンの肌を思わせる「スキンルーム」は、欲望の対象を空間に変えてしまう大胆なアイデアです。
愛が内面ではなく、物質として存在している点がやはりSM的支配を思わせると同時に虚しくてよかったです。実際にあったら気持ちが悪いインテリアですが…
これらの表象はやりすぎというかあからさまに見えるところもあるのですが、映画らしい表現でもあり、画的に見入ってしまう撮り方をしているので、強く印象に残すという意味では成功していると思います。

過去作との共通点──“整合性”より“体感”や”ショック”
フェネルの作品を振り返ると、一貫しているのは「衝動をどう見せるか」という姿勢です。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』は物語の骨組みが強固でしたが、『ソルトバーン』以降はより感覚寄りになっています。

本作も同様に、説明よりも体験を優先している印象です。
物語として完璧かと問われれば、疑問は残るかもしれません。
けれど、感覚として残るかと問われれば、強烈に「残る」と言えるでしょう。
まとめ:プロットの整ったフェネル作品へ期待
エメラルド・フェネル版『嵐が丘』は、古典を安全に再現する映画ではありません。
むしろ、性と死を大胆に前景化し、抑圧された情念を身体へと解き放つ作品です。
これは正しく理解する映画ではなく、登場人物に感情移入しつつ一緒に揺さぶられる映画という風に感じました。

好きか嫌いかは分かれるでしょう。
倒錯した欲望や愛憎に飲まれていく登場人物たちを、もう少し血の通った人間として丁寧に掘り下げてもよかったのではと思います…
けれど、ただの古典リメイクでは終わらせないという監督の強い意志だけは、確かに作品に刻まれているように思いました。
色々思うところはありますが、建物や衣装の作りこみなど目を引くものはありますし、何といってもジェイコブ・エロルディが名前の通り(?)エロティックで目が離せませんでした。
個人的にはまた『プロミシング・ヤング・ウーマン』のようなプロットの整ったフェネル作品が観たいです。


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