今回は『ミッドサマー』でお馴染み、アリ・アスター監督の最新作『エディントンへようこそ』を紹介しましょう。
何かが起こる映画ではなく、すでに起こってしまった世界に、私たちを「ようこそ」と招き入れるような映画だと言えるかと思います。
決して大好きとは言えないけれど、鑑賞後に何度も振り返って考えさせるよう巧妙に仕組まれた、味わいがいのある1本を考察してみました。
(トップ画像:引用https://www.facebook.com/newyorker)
『エディントンへようこそ』:あらすじ

アメリカ・ニューメキシコ州にある架空の小さな町エディントン。
パンデミック下で不安と分断が広がるなか、保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は市長選を巡る対立やデータセンター建設計画に巻き込まれていく。
マスク着用、抗議運動、陰謀論、正義の主張が交錯するうちに、町は次第に理性を失い、暴力と監視の気配が忍び寄る…

●ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)
誕生日: 1974年10月28日生まれ
星座:さそり座
身長:173cm
出身:プエルトリコ・サンフアン
考察➊:「全くスッキリしない!」、がクセになる?
この『エディントンへようこそ』ですが、実は終盤にかけて観客が置いてけぼり気味になり「これで終わり?!」というようなところで終わってしまいます。
観終わった直後は、正直「変な映画を選んだかも…」と思いました。
『ヘレディタリー継承』や『ミッドサマー』にあったホラー的なカタルシスも無く、この映画を観る人が抱くであろう「アリ・アスター監督作」という期待をある意味裏切るような作りになっています。
なので、「面白くなかった」という方も多いのも当然かなという印象です。
ですが数時間、数日…と時間が経つにつれ、ラストシーンや、登場人物たちの何気ない会話や行動がじわじわと記憶の底から浮かび上がってくるのに気づきます。
そして、「あれは何だったの?」とこの映画について振り返らずにはいられなくなってきました!

■アリ・アスター監督
誕生日:1986年7月15日生まれ
星座:かに座
出身:アメリカ・ニューヨーク州
▶おもな監督作品

考察➋:一旦、違和感を飲み込ませる構造に…

本作の巧みさは、物語や明確なメッセージを提示する以前に、観客の「感覚」そのものを静かに揺さぶってくる点にあると思います。
例えば序盤で主人公ジョーがコーヒーを口にし、違和感から吐き出してしまう場面などが象徴的です。
ウイルス感染による味覚の揺らぎは、単なる物語上の説明にとどまらず、世界を判断する基準そのものがズレ始めていることを、ジョーの身に起こった反応として示していると感じました。
ジョーは保安官としての正義感を持って行動するキャラクタではありますが、徐々にその信念や行動指針がぶれていきます。
そのため、観客としてはだんだん感情移入できなくなるという印象の人物です。
観客もまた、この時点では何が異常なのかをはっきりとは掴めず、何とも言えない後味の悪さだけが残り、その理由はすぐには回収されないのです。

本作は恐怖や違和感をその場で説明し、理解させる映画ではありません。
一度観客に違和感を飲み込ませ、それが後からじわじわと効いてくる構造を取っています。
物語が進むにつれ、観客は主人公と同じように、何が正しく、何がおかしいのかを即座に判断できない状態へと導かれていきます。
そのため、鑑賞中は「一体どうなっていくんだ…」と振り回されることになるのでかなり疲れます。
上映時間も2時間28分と長いので、エンドロールまでくると「やっと終わったか・・」とさえ思ってしまいます。
本作の不穏さは、画面内で起こる出来事そのものよりも、観客自身の感覚が次第に信用できなくなっていく、そのプロセスに宿っているように感じられました。
考察➌:誰も勝っていないラストシーン

(※物語の核心に迫るネタバレを含みます※)
物語終盤にかけて、とある出来事をきっかけに暴走していく保安官のジョー。
一体この先どうなるのか?!と観客の緊張が最高潮まで達するかというところで肩透かしを喰らうのが本作。
アリ・アスター監督本当に意地が悪いです。(褒めています)
物語終盤で、本作は観客が期待する明らかな決着や解放を与えないまま、ひどく無機質な光景を提示します。
ラストのデータセンター建設を祝う場では、誰かが勝利を手にしたようにも見える一方で、画面に映る人物たちはいずれも主体性を剥ぎ取られた存在として配置されていることに注目したいです。

心にいるはずのジョーはもはや行動する力を持たず、義母ドーンは登壇者として語る役割を担いながらも、何かを決定しているようには見えません。
そして強烈な印象を与えるのは、先住民のイメージがデータセンターの壁画として消費され、同時にそれが黒人保安官が持つスマートフォンの画面に収められていく視線です。
ここでは「誰も勝っていないのに、全てが大きな力のもとに進んでいく感覚」が淡々と示されているように感じられます。
物語を動かしてきたはずの個人の衝突や感情は後景に退き、残るのは、すでに決定されたデータセンターを頂点とする構造だけです。
このラストシーンは、答えを提示するのではなく、観客に「いま何を見せられているのか」を問い返してくる。
その冷たさこそが、本作が最後に残す最も強烈な余韻なのではないでしょうか。
まとめ
この映画が怖い・面白いと感じられるのは、
•無自覚に「正しさ」に乗ってきた観客
•物語がまだ有効だと信じている私たち
を鑑賞後にじわじわと遅延させながら自覚させる効果があるからだと思いました。
気になりましたらぜひ鑑賞してみてください!


記事へのご感想・関連情報・続報コメントお待ちしています!