西部劇で「荒野の…」と形容詞がつくと、『荒野の七人』『荒野の決闘』など古典的な西部劇を思い起こす人も多いのではないでしょうか。
アメリカが西部開拓をすすめた時代に起こった、さまざまな出来事を映画やテレビドラマにしたものを称して「西部劇」と言われていました。
未開拓の荒野が舞台とあって、このドラマチックな形容詞が好んで使われたのでしょう。
今回紹介する邦題『荒野の誓い』も、その流れを汲んでいるのかもしれません。
時代背景も、1892年とはっきりされており「西部劇」であることに間違いはありません。
しかし、原題は『Hostiles』(敵愾心、敵対的な)と全然違っていました。
フロンティア精神の象徴とされた西部開拓の夢はすでになく、また常に戦う存在だった先住民のイメージはそこにはありません。
敵対から共存・相互理解へとつながる新しい時代の西部劇といえるでしょう。
西部開拓「フロンティア」、消滅する19世紀末
あらすじ紹介の前に確認しておきたいのは、1892年という年です。
アメリカ東部にコロンブスが到達して以降、奇しくも400年という節目の年に当たります。
未開の西部に突き進んでいった最前線が「フロンティア」と言われるのですが、西海岸に到達したのがほぼその頃。
長期にわたる、入植者(白人)とインディアン(先住民)の戦いを通じ、双方とも多くの犠牲者を出すことになりました。
さて、今作の舞台は、ニューメキシコにあるアメリカ軍の先住民収容所。
火薬兵器の物量にモノを言わせたアメリカ軍騎兵隊が、未開拓地をほぼ制圧し生き残った先住民たちを収容した施設のひとつです。
ここに駐留するのが騎兵隊のベテランで、伝説のジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベール)。
そして、収容所にはブロッカー大尉が長年宿敵としてきたシャイアン族の首長イエロー・ホーク(ウェス・ステューディ)も、家族ごと収監されていました。
任務に忠実な大尉が、押し付けられた特命
かつては、無法の連中や抵抗する先住民と死闘を繰り返してきたブロッカー大尉。
一見物静かだが、顔には度重なる戦いで多くの同僚や仲間をなくしてきた苦渋の歴史が刻まれているようです。
そんな彼に、ある時信じられないような命令が下りてきます。
それは、かつての同僚や仲間を惨殺したシャイアン族の首長イエロー・ホークを、はるか北方のモンタナ州居留地へ送還しろというもの。
首長の死期が近いという理由ですが、先住民への政府の融和的プロパガンダの一環のようにも見えます。
ただでさえ憎しみしか残っていないイエロー・ホークを、反対に護衛しろという特命に、感情を抑えているさすがのブロッカー大尉も煮えたぎるものがあります。
拒否は、軍法会議への提訴と退職後の補償を一切なくすと上官に脅されるブロッカー大尉。
一人になった時の大尉の慟哭は見どころです。
はるかモンタナへの出発、背負う試練
モンタナへの道に土地勘があるとはいえ、憎しみと護衛という相反する気持ちに葛藤しながらいよいよ居留地に向け出発。
随行する部下4名と、イエロー・ホークとその家族4名という一行を阻むものは、あたりに蛮勇する先住民部族など。
収容所を出て間もなく、彼らが早速目にしたのは入植者が襲われた直後とみられる廃墟でした。
家の前に横たわる、頭髪をそぎ落とされた白人男性。
焼け落ちた家の中には、血だらけの赤ん坊を抱きかかえて震えている女性、そして隣には殺されたと思われる女の子2人が横たわっていたのです。
ブロッカー大尉は、茫然自失の母親ロザリー・クウェイド(ロザムンド・パイク)を助け同行させる決心をします。
後に残された4つの墓。
4つ目の小さな墓が意味するところに愕然とします。
イエロー・ホークの申し出、「手錠を外してくれ」
前途多難な旅程に、顔には出さないが不安が高まるブロッカー大尉一行。
家を焼き払い、子供まで殺した手口を見たイエロー・ホークは、やったのはガラガラ蛇のような「コマンチ族」だと進言します。
そして、万が一の場合に協力するから、家族全員の手錠を外してくれと申し出ます。
それが最終的に何を意味するのか、映画の途中ではわかりません。
ブロッカー大尉は、悩みながらも彼らの手錠を外してしまうのでした。
映画を観ているものには、守るべき人間が増えた上に、かつての宿敵の手錠を外すという判断に緊張感は高まるばかりです。
もうひとつ、頼まれたやっかいな「荷物」
さて、途中休憩のために立ち寄った街で、ブロッカー大尉は騎兵隊の旧友と再会。
歓迎を受ける一方、さらにやっかいな頼まれごとをすることになります。
それは、同じ軍隊にあって過去に先住民一家を虐殺した脱走囚人ウィルス軍曹を、途中のコロラドまで送り届けてほしいというものでした。
以降、このやっかいな死刑確定者は予想通り大声でわめきちらすのでした。
実はこの犯罪者の言葉こそ、アメリカの西部開拓の闇に他なりません。
「俺のやったことと、お前(ブロッカー大尉)たちが軍でやってきたことと何が違うというのだ!」
長旅の中で、「死」と向き合うメンバー
西部劇の定番といえば語弊がありますが、ストーリーの中での銃撃戦や、罪のない人たちの犠牲はあります。
しかし、この映画でクローズアップされるのはそのあとの話です。
復讐と怨念だけが支配していた「敵愾心」だけのこころの中に、なんとかバランスを取り戻そうとする描写がしっかり描かれています。
それは、モンタナまでの長旅の中で一人ひとりが変わっていく様子から見て取れます。
家族を失ったクウェイド夫人、次々と犠牲になる護衛の兵士たち、死期が迫るイエロー・ホークと見守る家族…。
そして、過去から解放されていくかのようなブロッカー大尉。
みんなが死と向き合っていくのです。
まとめ~モンタナで待っていたもの~
(最後のネタバレなし)
死と向き合うといえば、映画のエンディングとしてはちょっと寂しいのですが、エンタメ的には最後は「ホッ」とさせてくれる映画ですので安心して観て下さい。
クリスチャン・ベールの名演は、ブロッカー大尉の過去の凄みと優しさを合わせて一気に見せてくれます。
また、ロザムンド・パイクの熱演と華麗さは、殺伐とした草原に咲く花のように最後まで印象に残り、感涙を誘います。
以下に参考記事を紹介しておきますので、あわせてご覧下さい。
▶クリスチャン・ベイル主演『フォードvsフェラーリ』紹介記事
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