今回紹介する映画は、実在の人物をベースに描かれたサスペンス映画『母の聖戦』。
メキシコのとある街中で一人娘をさらわれたシングルマザーが、娘を取り戻すべく孤軍奮闘する姿を追った物語。
ベルギー・ルーマニア・メキシコの合作となった本作は、それぞれの国より著名映画監督が製作陣として名を連ね、第74回カンヌ国際映画祭で賞を受賞するなど世界的にも高く評価されています。
実話映画『母の聖戦』:作品情報
誘拐ビジネスが横行するメキシコの裏の世界を舞台に、ある日突然誘拐された娘を取り戻すために自ら奔走する母親の姿を追う社会派サスペンス。
本作は実話をもとに物語が構成されました。
作品は『ある子供』のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督、『4ヶ月、3週と2日』のクリスティアン・ムンジウ監督、『或る終焉』『ニュー・オーダー』のミシェル・フランコ監督ら俊英監督がプロデューサーとして参加しています。
2021年に行われた第74回カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門で勇気賞を受賞、さらに第34回東京国際映画祭のコンペティション部門では『市民』のタイトルで上映され、審査員特別賞を受賞しました。
映画タイトル | 母の聖戦 |
原題 | La Civil |
監督 | テオドラ・アナ・ミハイ |
出演 | アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、ホルヘ・A・ヒメネス、アジェレン・ムソ、ダニエル・ガルシア、エリヒオ・メレンデス、アレッサンドラ・ゴーニ、バネサ・ブルシアガ、マヌエル・ビジェガス、デニッセ・アスピルクエタ、メルセデス・エルナンデスほか |
公開日 | 2023年1月20日(金) |
公式サイト | https://www.hark3.com/haha/ 【予告編】 |
■2021 /ベルギー・ルーマニア・メキシコ合作/カラー/135分
誘拐ビジネスの実態、目にした母は…:あらすじ
元夫のグスタボ(アルバロ・ゲレロ)と別れ、10代の娘ラウラ(デニッセ・アスピルクエタ)とともにメキシコ北部の町で暮らすシングルマザーのシエロ(アルセリア・ラミレス)。
なんの変哲もない朝を過ごしたある日、ラウラは犯罪組織に誘拐されてしまいます。
犯人の連絡係であるプーマ(ダニエル・ガルシア)の要求に従い、シエロはグスタボとともに要求された身代金、そして車を用意するも、結果的に娘を返してもらうことができませんでした。
この一大事を警察に通報するもまったく動く様子すら見せず、金を貸してくれた夫も全くあてにならず途方に暮れるシエロでしたが、それでも孤軍奮闘し娘を取り戻すべく立ち上がります。
時に誘拐グループの妨害により自家用車が燃やされ、家には銃が撃ち込まれるなど、絶望に打ちひしがれながらも娘をあきらめきれないシエロ。
やがて彼女は、軍のパトロール部隊を率いるラマルケ中尉(ホルヘ・A・ヒメネス)と接触。
彼から協力関係を求められ密かに行動を開始します。
そこでシエロは、メキシコ社会の闇に潜む誘拐ビジネスの実態を目の当たりにするとともに、自身にも大きな変化を見せていくのでした。
人を虎視眈々と狙い、陥れる「人間の闇」の存在
本作は社会に潜む闇の一端より、一人の女性の目線を通して「闇の連鎖」的なテーマを描いています。
悪びれた様子もなく、いい商談を進めるかの如く身代金を要求する誘拐犯は、うそをつくことにためらいすら見せません。
そんな非道な人間たちに対し警察は無関心、誘拐を訴えてきたシエロに対し冷たく、まるで定型業務のような返答でその要求を却下します。
彼女の近くに住む気心知れた知人は、彼女に娘をあきらめろといいますが、実のところそんな人間ですら裏で誘拐に加担している始末。
「何の変哲もない」日常と思っていたシエロですが、実はその日常の中で彼女らは常にその危機にあったわけです。
そしていつしかその闇はシエロを包み、彼女自身を「恐ろしい人間」へと変えていきます。
この物語の恐ろしさ、そして重要なポイントは、そんな不意を突かれるような一時がどこからでも虎視眈々と人を狙い、闇へと引きずり下ろしていくものだと感じさせるところにあるといえるでしょう。
本作のショッキングさ、深く象徴する「母親」という存在
一方で本作の重要なポイントは、物語の伏線を「母の愛情」という存在の一側面から描いている点にあります。
一人の人間が犯罪に巻き込まれ、ミイラ取りがミイラになるというような物語であれば、本作は単なるジャンルモノ的クライムエンタテインメント作品で終わるものとなったことでしょう。
「娘を助けたい」という母親の愛情の深さはシエロの行動の起点を作り、「母親という存在であればこうするだろう」という説得性を物語に埋め込んでいます。
この「母親であれば」という感覚が非常に大事なのですが、一側面からは「だからこそ当然だ」と納得する意味づけが見られます。
対してまた別の側面からは「母親だからこそ人はここまで変われるのか」と驚きすら見えてくるでしょう。
シエロの「母親」というステータスは、物語の序盤では「罪のない一市民」という印象をもたらしながら、物語が進むにつれ見えてくる彼女の「怪物的」な一面にも深い意味を成していきます。
▶「母の愛」そして狂気を感じさせるおすすめ作品
※韓国サスペンス。本筋は異なるものの、母親ならではの愛情の強さ、そしてそれゆえの怖さを描いた物語です。
第72回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督作品。
ロケーションが与える、テーマへの大きな影響
まぶしい太陽の光の下、ソンブレロ(メキシコの伝統的な男性用帽子)をかぶった人たち、テキーラ(酒)と美女、陽気でリズミカルな音楽。
そんな明るいイメージとは対照的に世界的にも大きな犯罪率で知られる国、メキシコ。
物語の舞台となったこの国の事情からすれば、あまりにも理不尽に展開していくこのストーリーはごく自然に見えるかもしれません。
しかし一つ見方を変えるだけで、このありえないと思える状況は世界のどこにでも起こり得る可能性がある恐ろしい話であるとも思えてきます。
例えば作品を手掛けたテオドラ・アナ・ミハイ監督は、冷戦下のポーランドに生まれ、その後ベルギー、アメリカと移り住みました。
そしてカリフォルニアで暮らしていたころには何度もメキシコを訪れ、シエロのモデルとなった実在の女性ミリアム・ロドリゲスに出会ったといいます。
その意味でこの作品は様々な国を訪れ、時にその地の生活を肌で感じたミハイ監督だからこそのテーマ作りがなされているものであるといえるでしょう。
本作は極貧で犯罪率の多い場所での話だからこその説得力、などといった局所的な論点にはならない、普遍的なメッセージ性が感じられるものとなっています。
《ライター:黒野でみを》 クリックで担当記事一覧へ→
40歳で会社員からライターに転身、50歳で東京より実家の広島に戻ってきた、マルチジャンルに挑戦し続ける「戦う」執筆家。「数字」「ランク付け」といった形式評価より、さまざまな角度から「よさ」「面白さ」を見つめ、追究したいと思います。
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