今回紹介する映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』は、イタリアの史事をもとに制作されました。
とある家族が宗教的な理由で親子の断絶を余儀なくされたことから巻き起こった出来事を追ったドラマです。
カトリック教会が社会で大きな力を持っていた1800年代。
ある日突然やってきた教会の兵士より子を連れ去られた家族の抵抗と、それにより文字通り数奇な運命をたどった子の人生を描きます。
国家、教会、マフィアといった社会的なテーマを多く扱ってきたイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督による重厚な歴史ドラマであります。
映画『エドガルド・モルターラ』:作品情報
教会が自身の権力を絶対的なものとすべく、7歳の少年エドガルド・モルターラを両親のもとから連れ去ったという事件を追ったドラマ。
19世紀のイタリアにおいて、カトリック教会をめぐり世界で論争へと発展した歴史的事件をもとに描いたこの物語は、2023年の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されました。
『甘き人生』『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』『シチリアーノ 裏切りの美学』『夜のロケーション』など数々の名作イタリア映画を手がけてきたマルコ・ベロッキオが監督・脚本を担当しました。
物語で教皇ピウス9世役を演じたパオロ・ピエロボンは、ベロッキオ監督の『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』にも出演しています。
映画タイトル | エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 |
原題 | Rapito |
監督 | マルコ・ベロッキオ |
出演 | エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ、パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレシ、バルバラ・ロンキ、アンドレア・ゲルペッリ、コッラード・インベルニッツィ、フィリッポ・ティーミ、ファブリツィオ・ジフーニほか |
公開日 | 2024年4月26日(金) |
公式サイト | https://mortara-movie.com/ 【YouTube:予告編】 |
■2023年 /イタリア・フランス・ドイツ合作映画/カラー/G/125分
あらすじ:7歳の子どもを連れ去った理由とは?
1858年、イタリア・ボローニャのユダヤ人街にあったモルターラ家。
ある日この家に兵士たちが押し入り、一家の7歳になる息子エドガルドを連れ去ってしまいます。
当時の教皇ピウス9世の命を受けたという兵士たち。
彼らはエドガルドが何者かによってカトリックの洗礼を受けたことを指摘、教会の法に則れば、洗礼を受けたエドガルドをキリスト教徒でない両親が育てることはできないといいます。
息子を取り戻そうとする奮闘するエドガルドの両親は、世論や国際的なユダヤ人社会を巻き込み教会を訴えます。
しかし、ローマ教皇を中心とした協会は、当時のイタリア社会において揺らぎつつある権力を強化する狙いで、エドガルドの返還に決して応じようとはしなかったのです……。
考察❶:絶対的な存在とされる「宗教」の裏面に迫る
カトリック教会がイタリアの社会で大きな力を持った時代。
この社会ではもちろん、現在でもその存在としては大きなものでありますが、本作はその組織の権力に翻弄される一人の少年とその家族の物語より、教会の傲慢な側面にスポットを当てた作品になっています。
ある日突然、知られざる一つの出来事で引き裂かれた家族。
彼らにいったい何があったのか?
その出来事は本当に家族を引き裂かれなければならなかった理由となりえるのか?
一つの「嵐」に見舞われた家族の姿の一方で、あくまでもその「隠された出来事」により猛威をふるう教会の姿が、非常に醜悪なイメージで描かれます。
果たして「宗教」とはどのような意味を持つものなのか。
「人々を救うはずのものが、権力を握ったことで逆に人々を苦しめることになる」という様子が展開の中で見えてきます。
一方で印象的なのが「家族愛」のイメージであります。
少年エドガルドを奪われながらも諦めず戦い続ける母、そして家族の思い。
宗教では「神が絶対的存在」として、その教えから人々は行動を起こすことを教えられますが、この物語で描かれる「家族愛」は、何の教えもない上で人々を自然に突き動かしている姿を描いています。
この醜い権力構造と「家族愛」の落差は「宗教」が何のために人の間に存在してきたかを考えさせるものとなっており、信仰の意味に対して何らかの問いかけをおこなっているようでもあります。
「宗教」のテーマに人々の救いがあることは前提であるはずであるものの、この時代におけるイタリアで「宗教」をめぐり何が起きたのか。
一つの家族をめぐり「宗教」という象徴が、一つの事件で嵐を巻き起こした様子より人々の間でどのようなものへと変化していく。
その様がさまざまなことを想起させる物語であります。
考察❷:巨匠ベロッキオ監督ならでは、説得力のある視点
またラストシーンでは、ある意味「信仰心」の揺らぐ決定的な展開が、非常に強い印象を残しています。
結果的にエドガルドは家族と対面を果たすわけですが、最後のシーンは思わぬ展開で強い衝撃とともに「引き離された」という意識を如実に表現しているようでもあります。
人が信仰心を持ちその意志を貫こうとする意志とは裏腹に、その信仰心を持たない人には信仰自体が理解できないわけであり、物語の主題的なポイントとはまた異なる視点で宗教、信仰の不完全さのようなイメージを示しているといえるでしょう。
物事のゆるぎないメッセージ性を保ちつつ、一つにとどまらない視点でその説得力を明確なものとして描いている点は、なるほど巨匠マルコ・ベロッキオ監督の作品と納得のいく作品でもあります。
《ライター:黒野でみを》 クリックで担当記事一覧へ→
40歳で会社員からライターに転身、50歳で東京より実家の広島に戻ってきた、マルチジャンルに挑戦し続ける「戦う」執筆家。映画作品に対して「数字」「ランク付け」といった形式評価より、さまざまな角度からそれぞれの「よさ」「面白さ」を見つめ、追究したいと思います。
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