今回紹介する作品は、『ニューヨーク・オールド・アパートメント』です。
アメリカの大都会の片隅に暮らす一組の不法入国移民家族が汚れ傷つきながらも強く生きていくさまを描いています。
南米ペルーより着の身着のままでアメリカにやって来た母と息子二人。
不条理な社会に不満を募らせ、ギリギリの生活に耐えながらも生きていく家族は、それぞれに新たな出会いを迎えますが……。
貧困、差別といった社会的問題に強く言及するイメージを持ちながらも、人物像の描写に光るものを感じさせる作品です。
『ニューヨーク・オールド・アパートメント』:作品情報
大都会ニューヨークの片隅で、三人の移民家族と一人の女性がそれぞれ懸命に生きる中で成長する姿と人同士のつながりが深くなっていくさまを描いたドラマ作品。
本作を手がけたのは、本作が長編初挑戦となるスイス/イギリス出身のマーク・ウィルキンス監督。
オランダの作家アーノン・グランバーグの小説『De heilige Antonio』を原作として物語を作り上げました。
2009年の映画『悲しみのミルク』に出演したマガリ・ソリエルが母ラファエラ役を担当。
その息子役二人を、オーディションで選ばれたペルー出身の双子アドリアーノ&マルチェロ・デュランが担当しました。
映画タイトル | ニューヨーク・オールド・アパートメント |
原題 | The Saint of the Impossible |
監督 | マーク・ウィルキンス |
出演 | マルチェロ・デュラン、アドリアーノ・デュラン、マガリ・ソリエル、タラ・サラー、サイモン・ケザーほか |
公開日 | 2024年1月12日(金) |
公式サイト | https://m-pictures.net/noa/ 【YouTube:予告編】 |
■2020年 /スイス映画/カラー/PG-12/97分
『ニューヨーク・オールド・アパートメント』:あらすじ
安定した生活を求めて祖国ペルーからアメリカへ不法入国し、ニューヨークで暮らす三人の一家。
母ラファエラはレストランのウェイトレスとして働き、二人の息子ポール、ティトを女手一つで育てています。
そして息子たちもデリバリーサービスの配達員として家計を支えます。
白人たちから蔑まれる自分を「ここでは、自分たちは“透明人間”だ」と嘆く二人の息子たち。
しかしある日、語学学校で謎めいた美女クリスティンと出会い、二人の生活には変化が現れます。
その一方、ラファエラは職場の客として訪れた一人の白人男性と急接近、彼からの誘いに乗りブリトーのデリバリーサービスを開業しますが……。
逆境を生きる人の目線、見えてくる不条理への問いかけ
本作は大都会の底辺で暮らす人たちの、リアルに迫ったドラマ。
主人公たちが冒頭で自分たちをこの都会は「透明人間」という存在としていると語っているのに対し、彼らの目線を通して見える光景は奇異にも見えます。
主人公の二人、そして母は不法入国移民として表立った生活はできず不当な扱いを受けることに。
しかし、ときには他愛もないことで笑ったりしながら一生懸命に生きており、語学学校には通っているけどそれなりに英語の読み書き、会話もできます。
これに対し彼らを蔑む人たちはある意味、真っ当にも見える彼らに対して、どこか人間らしくない、逆に「透明人間」的な存在として表現されます。
「人を車で轢いたのに、轢かれた人より車の傷を気にする富裕層」「人を不当な条件で働かせながら、威圧的な態度で接する店の主人」「移民たちに対し、真面目に教える気も見えず、モラルさえ守れない語学学校の先生」。
もちろん三人の家族と彼らの間には、さまざまな違いが存在します。
しかしその中でも目立って見えるポイントとしては、彼らは移民ではなく、移民たちを自分たちより下の人間だとして差別していること。
彼らは同じように自身の人生を生きている人間のはずですが、どうしてもこのポイントがクローズアップされ、人ではない異質なもののようにすら見えてきます。
本作の重要なテーマとしては、やはり「底辺で生きる人たちにも、懸命に生きる彼らの人生がある」ということを痛切に訴えていることにあるようでもあります。
そのポイントを表す最も明確な表現はラスト近辺に現れます。
母ラファエラを言いくるめ、一家を大変な目に合わせる白人男性エドワルド。
彼は最後にニューヨークの街中で、ふと一匹のロバに出くわし、「可愛らしい動物」として接しようとしますが、ロバは彼に痛烈な行為を返します。
そのシーンは思わず爆笑しそうな展開ですが、物語の真意を非常にうまくまとめた演出であると見ることもできるでしょう。
「リアルを生きる人」の目線で描かれた群像劇
本作はおもに母ラファエラ、二人の息子ポールとティト、そして彼らが出会う女性クリスティンという四人の視点で展開していきます。
彼らの生きざまは、彼らに罵声を浴びせる「透明人間」たちよりもずっと生き生きした印象が感じ取れます。
彼らは誰に怒りをぶつけるでもなく汚れ、傷つきながらも自身の道を進み生きていく。その姿からは、どこか光るものを感じさせるものとなっています。
物語は進むに従い、登場人物に対してどちらかというと悪い方に進んでいきます。
しかしそんな状況に反して、彼らのつながりは更に深みを強めていきます。
そのつながりは、クライマックスで悲惨な状況に陥りながら、なにか暗闇にポッと優しく、暖かく灯る光のようなイメージを感じさせます。
総じて物語を眺めると、矛盾だらけの世界に対して何かを問いかけるというよりも、辛い人生の中に見えてくる光の大切さ、そしてその光へ導く物語であるとも見えてくるでしょう。
意味深な原題より掻き立てられる社会問題への意識
監督のマーク・ウィルキンスはスイス生まれで本作が長編初監督作品。
CMディレクターとして活躍する傍らで、短編映画で数々の賞を受賞、ニューヨークで活動した後に現在はウクライナ・キーウで家族とともに暮らしているという。
その生活の経緯は不明ですが、世界的にも厳しい状況下にあるウクライナに敢えて留まる現状は監督・表現者としても普通では見られない視点を得ているとも見られます。
本作の原題は『The Saint of the Impossible(不可能の聖者)』。
劇中では主人公のポール、ティトらが会話する中でこの語を発し、字幕では「不可能の神」と訳されています。
このことは、キリスト教の「マタイ19:26」にある語の一節「神に不可能はない」というポイントに、どこか皮肉めいた疑問を投げかけているようでもあります。
平生を穏やかに暮らしているだけでは見えてこない複雑な状況を描くことで、普通では見えない重要なポイントを描いている印象でもあり、さまざまなことを考えさせてくれる作品であるといえるでしょう。
《ライター:黒野でみを》 クリックで担当記事一覧へ→
40歳で会社員からライターに転身、50歳で東京より実家の広島に戻ってきた、マルチジャンルに挑戦し続ける「戦う」執筆家。映画作品に対して「数字」「ランク付け」といった形式評価より、さまざまな角度からそれぞれの「よさ」「面白さ」を見つめ、追究したいと思います。
記事へのご感想・関連情報・続報コメントお待ちしています!