「エンテベ空港」と聞いて、記憶のある人は歴史的な事件に精通している人かもしれません。
ほとんどの人は、はじめて聞く空港名でしょう。
エンテベ空港が有名になったのは、1976年、テロリストによってハイジャックされたエールフランス機が強制着陸させられてからです。
アフリカ東部のウガンダ共和国にある国際空港です。
映画『エンテベ空港の7日間』は、今から半世紀ほど前に起こったハイジャック事件を、勃発から終結までを扱った映画です。
なぜ、今、を含めてこの映画の見どころを紹介したいと思います。
103名の人質を解放、「奇跡の救出作戦」
実は、この「エンテベ空港事件」(引用:朝日新聞社「コトバンク」)は、「奇跡の人質解放」を成し得たイスラエル軍からすれば「エンテベ空港奇襲作戦」(wikipedia)となり、イスラエルが作った映画となると「サンダーボルト救出作戦」という勇ましい表現になります。
テロリストにより、あわや犠牲者になりかけた人質103名が無事救出されたという意味では、それぞれふさわしい表現であることは間違いありません。
綿密な救出作戦を立て、必死の遂行をしたイスラエル政府や国軍はその意味では英雄といえます。
しかし、今作『エンテベ空港の7日間』が注目されたのは、主犯のテロリスト2名に焦点があてられたところです。
もちろん、彼らのテロの理屈を正当化したものではありません。
どちらにも加担することなく、淡々と事実が積み重ねられていきます。
それをもって、面白みに欠けるとかテロリスト視線になりすぎといった評価があるのも確か。
いずれにしろ、事件から40年後の現在、いったい何が起こったのか、またテロリストが何を考え「実行」に踏み切ったのかを教えてくれるのも間違いのないところです。
ハイジャック犯を引き受けた、ロザムンド・パイク
ハイジャックという、どんな理由を付けても許されないテロリスト犯は、たとえ主人公だとしても映画の中ではまぎれもない悪役です。
しかし、今作で主犯テロリストを演じたのは、ドイツの活動家ブリギッテにロザムンド・パイク。
ヴィルフリートにダニエル・ブリュールです。
どちらも、ハリウッドの実力俳優で、ロザムンド・パイクにいたっては『プライベート・ウォー』で正義のジャーナリストとして主演したり、『ゴーンガール』ではアカデミー賞主演女優賞に選ばれた実績の持ち主です。
その彼女が、ジョゼ・パジーリャ監督の意向を受け、今作のテロリストを引き受けた時のインタビュー映像があります。
同時に彼女は、ダニエル・ブリュールについても語っており、今作の位置づけが大変参考になります。
エールフランス機、ハイジャック事件の経緯
エールフランス機がハイジャックされた背景は、現在も解決されず依然と膠着状態のままのイスラエルとパレスチナ問題です。
(逆にいえば、40年を経過しても、何ら変わらないこの問題を思い起こさせるために製作された映画といえるかもしれません。)
テロリストがハイジャックした目的は、イスラエルで服役中のパレスチナ人の釈放で、要求をのめない場合は人質を全員射殺するというものです。
そのため、給油で一旦立ち寄ったリビアで、イスラエル人、ユダヤ人以外は全員降ろすのでした。
イスラエルとの交渉拠点となったウガンダ共和国(アミン大統領)は、当時はパレスチナを支持するアラブ側に立ちハイジャック機を受け入れます。
テロリストの要求に、緊迫するイスラエル政府
ハイジャック犯に要求を突き付けられたのは、イツハク・ラビン首相率いるイスラエル政府。
ウガンダ・アミン大統領を通じての平和的交渉の道を模索するも、不発に終わります。
そんな中、イスラエルの国防大臣であるシモン・ペレスは、国軍を使った人質解放作戦を模索。
これが、「オペレーション・サンダーボール」と言われる作戦です。
精鋭部隊がウガンダ国軍のスキをついて侵入し、テロリストを一網打尽にしようという極めて成功率の低い作戦。
政府内でシミュレーションされる、緊迫したやりとりが見どころです。
イラ立つテロリストと、混乱し疲弊する乗客
一方、イスラエル政府がなかなか交渉に応じようとしないことにいら立つテロリストたち。
また、小さな子供や老人を含め、100人をゆうに超える人質の混乱や疲弊も徐々に高まります。
事件発生から4日目。
テロリストは交渉期限を決め、返事がなければ子どもから順に人質を殺すと最後通告をします。
もうひとつの見どころが、そんな中でのテロリストたちの心情と乗客とのやりとり。
交渉が決裂した暁には、射殺することになる人質だが、言ってみればテロリストたちにとっては何の恨みもない存在。
エールフランス機の乗員が、主犯のヴィルフリート・ボーゼに投げた言葉に絶句します。
「パレスチナ人のためなら人質を殺してもいいのか?」
やっと交渉に応じたイスラエル、その一方で…
テロリストとは、一切の交渉を否定してきたイスラエル政府。
しかし、ヴィルフリートとブリギッテに届いたのは交渉に応じるという知らせでした。
交渉のテーブルにつかせたことは、二人にとっては半ば勝利を意味します。
交渉日を前にしてしばし安堵する二人。
しかし、真実の聞き取りに基づき制作されたこの映画によれば、二人は間違いなく死を予感していました。
(冒頭の画像は、交渉を前にして思い立ったように電話を掛けにいくブリギッテ)
その頃、サンダーボール作戦は着々と進行。
イスラエルの放った特殊部隊を乗せた空軍機は、レーダーをかいくぐり紅海の海面すれすれをウガンダに向かっていたのです。
あれから半世紀、進展しないパレスチナ問題~
奇跡の人質解放を指揮した当時のイツハク・ラビン首相は、その後、アラブ側(PLOアラファト議長)との和平交渉を進め、1993年オスロ合意(パレスチナ自治政府を承認)の立役者となりました。
このことで、シモン・ペレス元国防相とともにノーベル平和賞を受賞までしています。
しかし、今となっては一瞬のこと。
和平に向けて舵を切ったことが原因で、1995年、皮肉にも和平反対派の同胞ユダヤ人に暗殺されることになります。
また、特殊部隊の隊長はヨナタン・ネタニヤフ
エンテベ空港に突入した際、死亡した唯一の兵士となりました。
「ネタニヤフ」といえば、どこか聞いたことがある名前ですよね。
彼は、現在のイスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフの実兄なのです。
エンテベ空港の人質釈放は奇跡と言われましたが、その後、肝心の「イスラエルとパレスチナ和平」に奇跡は起きずにすでに半世紀。
何の進展もしない問題を、今、あえてニュートラルな立場で世に問うたジョゼ・パジーリャ監督の力作です。
一見の価値ありです!
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