こんにちは、ライターのすどうゆきです。
今回は2023年公開のフランス映画『それでも私は生きていく』をご紹介します。
ミア・ハンセン=ラブ監督の自伝的作品となる本作は第75回カンヌ国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞。
物語はシングルマザーとして生きる娘の、病気で弱っていく父に対する悲しみと、旧友との恋の芽生えを描いています。
レア・セドゥが主演を務め、パスカル・グレゴリー、メルヴィル・プポー、ニコール・ガルシア、カミーユ・ルバン・マルタンらが共演。
レア・セドゥは『アデル・ブルーは熱い色』から10年、彼女のキャリアはセクシーで華やかな役柄に支えられてきましたが、今回演じたのはそんなイメージとは全く異なる「等身大のシングルマザー」。
彼女の演技にも注目して本作の解説をしていきます!
(冒頭画像:引用https://www.facebook.com/OneFineMorningMovie/)
●レア・セドゥ(Léa Seydoux)
誕生日: 1985年7月1日生まれ
星座:かに座
身長:168㎝
出身:フランス・パリ
CMブランド:ルイ・ヴィトン(バッグ、フレグランス等)
▶レア・セドゥのおすすめ代表作【管理人・選】
▶作品考察:映画『アデル、ブルーは熱い色』情熱的な恋を考察、性的マイノリティの女性二人の価値観は?
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『それでも私は生きていく』:あらすじ
シングルマザーのサンドラ(レア・セドゥ)は、通訳者として働きながらパリで8歳の娘リンと暮らしている。
サンドラの父ゲオルグ(パスカル・グレゴリー)はかつては哲学の教師として尊敬されていたものの、今は病に冒され、次第に視力と記憶を失いつつある。
サンドラはそんな変わりゆく父の姿と向き合う中で、自分の無力さに打ちのめされていく。
そんな折、旧友のクレマン(メルヴィル・プポー)と再会し恋に落ちたことで、サンドラは最愛の父に対する悲しみと、新しい恋の幕開けによる喜びという相反する感情を同時に抱えることに…
ポップカルチャー的ではない、地に足のついたサンドラ
※ネタバレ注意
映画はパリの路地を歩くサンドラのロングショットから始まります。
ビジネスに強そうな印象を与えるベリーショートヘアに、だぼだぼのバックパックを背負い、颯爽と歩く姿はポップカルチャーのファンタジー的な女性像とは全く異なります。
彼女は母親、娘、友人、恋人、そして働き手として常に忙しく動く女性であり、皿回しのようにそれらすべての役割を維持しようと奮闘の日々を送っているのです。
そんなサンドラはレア・セドゥの素晴らしい演技力も手伝って「本当に実在する」ように思える、親しみのあるヒロインとなっているのですね。
鑑賞の際は、「等身大の女性像」を見事に提示してみせる冒頭シーンから目を離さないで。
「喪失」と「再生」。両極端を行き来しながら生きる
育児や仕事等で、長年忙しなく生きてきたサンドラですが、彼女の人生に新たなロマンスが芽生え始めます。
それは不倫関係なのですが、彼女が「忘れてしまった」と思っていた感情や感覚を再び目覚めさせるものでした。
妻子持ちのクレマンとの恋に、サンドラはデートなんていいから「ただセックスして食べて寝ていられれば良い」とまで言ってしまう(笑)
それだけ人間のベースとなる欲求が満たされた喜びを感じているのかと思うと、サンドラが愛おしく見えてきます。
弱っていく父ゲオルグとの「喪失」の関わりと同時に、クレマンとの「再生」の恋を育むサンドラ。
サンドラの職業は翻訳業ですが、哲学の教授であった父親と宇宙化学者の恋人という両極端のベクトルを行き来する姿は、まさしく2つの異なる言語の間でバランスを取る翻訳者のよう。
患者を持つ家族たちの、静かな「生の弔い」
サンドラの父ゲオルグの身体が日に日に病に蝕まれていく中、あるときサンドラはクレマンに「もう踏ん張れない」と打ち明けます。
父とはすでにまともな会話が成り立たなくなっており、実の娘よりも母との離婚後に出会った女性に意識が向いているような状態。
サンドラはもはや父本人よりも彼の愛読書に彼の存在を感じるようになり、ゲオルグとの接し方は相変わらず淡々としているものの、彼女の中で「生きている者を弔う」かのような、線引きをしているように見えます。
本作の監督を務めたミア・ハンセン=ラブ監督の父であり元哲学教師で翻訳家のオレ・ハンセン=ラブさんは、大脳後頭部の脳萎縮の疾患との闘いの末、2020年に72歳で亡くなっています。
本作にも監督自身の自伝的要素が、サンドラの人物描写にリアルな感覚をもたらしているのでしょう。
ドラマチックではない人生への賛美
本作で描かれるシーンの多くはドラマチックなライフイベントとはかけ離れた、日常の些細な出来事です。
物語の中心にあるのは、それら様々な要因に押し戻されそうになったり、時にパワーを得たりしながら生きるシングルマザーの姿です。
生きていれば、
注目されたいからとわざと親の前で足を引きずる演技をしてしまうこともある。
サンタとトナカイは大人たちのモノマネでできていることもある。
父が母以外の女性に入れ込むこともある。
父本人よりも彼の持ち物に彼の存在を感じることがある。
しかし、人生とはそういうものなのだ、そういう世界でこれからも生きていくのだ、と。
サンドラは時に深い悲しみに沈むことがあっても、同時に日々の中にある喜びに目を向けることも忘れない。
そんなサンドラの描写を通して、本作は観客をあたたかな人生への賛美でそっと包みます。
まとめ
ところで、本作『それでも私は生きていく』の原題“un beau matin”の意味は「ある晴れた朝」。
英題も”One Fine Morning”で同じ意味です。
どんな暗い夜にもいずれ朝がやってくるように、何度人生の谷に落ちたとしても、いつでも喜びを見出すことができるのだと感じられる良作でした。
気になりましたらぜひ鑑賞してみてください。
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